「いじめは正義だから 悪をこらしめているんだぞ」
「 いじめは せいぎ だから あく をこらしめているんだぞ 」
「 ijimeha Seigi dakara Aku wokorashimeteirundazo 」
そんな風に子供に教えたのは 僕らなんだよ
そんな かぜ に こども に おしえ たのは ぼくら なんだよ
sonna Kaze ni Kodomo ni Oshie tanoha Bokura nandayo
大人VS大人の正解・不正解のバトル
おとな VS おとな の せいかい ・ ふせいかい の ばとる
Otona VS Otona no Seikai ・ Fuseikai no batoru
TVで子供らに教える「ダレが"間違って"るか」
TV で こども らに おしえ る 「 だれ が " まちがって " るか 」
TV de Kodomo rani Oshie ru 「 dare ga " Machigatte " ruka 」
正義のヒーローは悪党を倒すものだと
せいぎ の ひーろー は あくとう を たおす ものだと
Seigi no hi^ro^ ha Akutou wo Taosu monodato
子供はTVをみて思う「悪は滅ぼさなきゃね」
こども は TV をみて おもう 「 あく は ほろぼ さなきゃね 」
Kodomo ha TV womite Omou 「 Aku ha Horobo sanakyane 」
もし僕が正しくて君らが間違いなら
もし ぼく が ただしく て くん らが まちがい なら
moshi Boku ga Tadashiku te Kun raga Machigai nara
僕らは戦う運命にあるの?
ぼくら は たたかう うんめい にあるの ?
Bokura ha Tatakau Unmei niaruno ?
僕らはいつも「答」で戦うけど
ぼくら はいつも 「 こたえ 」 で たたかう けど
Bokura haitsumo 「 Kotae 」 de Tatakau kedo
2つあって初めて「答」なんだよ
2 つあって はじめて 「 こたえ 」 なんだよ
2 tsuatte Hajimete 「 Kotae 」 nandayo
悪魔と天使の世界で あちらが正しいとか
あくま と てんし の せかい で あちらが ただし いとか
Akuma to Tenshi no Sekai de achiraga Tadashi itoka
こちらが間違ってるとか解らないんだ
こちらが まちがって るとか わから ないんだ
kochiraga Machigatte rutoka Wakara nainda
「悪魔と天使」 僕らがどちらなのかなんてさ
「 あくま と てんし 」 ぼくら がどちらなのかなんてさ
「 Akuma to Tenshi 」 Bokura gadochirananokanantesa
解るはずもなければ解りたくもない
わかる はずもなければ わかり たくもない
Wakaru hazumonakereba Wakari takumonai
正義が支配する最悪な世界ではマジョリティーこそが
せいぎ が しはい する さいあく な せかい では まじょりてぃー こそが
Seigi ga Shihai suru Saiaku na Sekai deha majoritei^ kosoga
「正しい」とみんな「間違える」!?
「 ただし い 」 とみんな 「 まちがえ る 」 !?
「 Tadashi i 」 tominna 「 Machigae ru 」 !?
「正義」を生み出した 神様 聞こえていますか
「 せいぎ 」 を うみだし た かみさま きこ えていますか
「 Seigi 」 wo Umidashi ta Kamisama Kiko eteimasuka
あんなものを生み出したから みんな争うんだよ
あんなものを うみだし たから みんな あらそう んだよ
annamonowo Umidashi takara minna Arasou ndayo
戦うべき「悪」は自分の中にいるんだと
たたかう べき 「 あく 」 は じぶん の なかに いるんだと
Tatakau beki 「 Aku 」 ha Jibun no Nakani irundato
「世界」のせいにしちゃダメだと僕はそう思ったんだ
「 せかい 」 のせいにしちゃ だめ だと ぼくは そう おもった んだ
「 Sekai 」 noseinishicha dame dato Bokuha sou Omotta nda
何かを変えるってことは自分自身を変えるということと
なにか を かえ るってことは じぶんじしん を かえ るということと
Nanika wo Kae ruttekotoha Jibunjishin wo Kae rutoiukototo
ほとんど同じなんだよ
ほとんど おなじ なんだよ
hotondo Onaji nandayo
「僕ら」が変わるってことは「世界」を変えるということと
「 ぼくら 」 が かわ るってことは 「 せかい 」 を かえ るということと
「 Bokura 」 ga Kawa ruttekotoha 「 Sekai 」 wo Kae rutoiukototo
ほとんど同じなんだよ
ほとんど おなじ なんだよ
hotondo Onaji nandayo
悪魔と天使の世界でこちらが正しいとか
あくま と てんし の せかい でこちらが ただし いとか
Akuma to Tenshi no Sekai dekochiraga Tadashi itoka
あちらが間違ってるとか解らないんだ
あちらが まちがって るとか わから ないんだ
achiraga Machigatte rutoka Wakara nainda
「賛成」と「反対」の間に「答」が生まれればいい
「 さんせい 」 と 「 はんたい 」 の まに 「 こたえ 」 が うまれ ればいい
「 Sansei 」 to 「 Hantai 」 no Mani 「 Kotae 」 ga Umare rebaii
正しさを主張するだけじゃ「答」じゃないんだ
ただし さを しゅちょう するだけじゃ 「 こたえ 」 じゃないんだ
Tadashi sawo Shuchou surudakeja 「 Kotae 」 janainda
否定を否定するという僕の最大の矛盾は
ひてい を ひてい するという ぼく の さいだい の むじゅん は
Hitei wo Hitei surutoiu Boku no Saidai no Mujun ha
僕の言葉 全てデタラメだってことになんのかな?
ぼく の ことば すべて でたらめ だってことになんのかな ?
Boku no Kotoba Subete detarame dattekotoninannokana ?